モーニング・キス

act7.2


 やって来ました、夢の王国! あたしと遼佑くんの初デート! そして朋子と純とのダブルデート!
 早速パンフレットを片手にあたしと朋子は目当てのアトラクションを目指して歩き出した。まずは近未来世界をモチーフにしたアトラクションステージ。あたしと朋子はすっかり本来の目的を忘れていたかもしれない。だって遊園地なんて何年ぶりだろう!? テンション上がりまくるよ〜!
「最初どこ行く? やっぱスペースザマウンテンかしら」
「あたしこれ行ってみたい! 不思議のミクロアドベンチャー!」
「じゃあその後スカイジェットってのは!?」
「いいねえ!!」
 二人して盛り上がっていると不意に肩を引かれ、気づけば遼佑くんに抱き寄せられていた。見れば朋子の隣には純が居て。
 あ、あれ?
「もしかして二人ともがっつり行く気?」
 遼佑くんが声を低めてあたしと朋子を交互に見て、純も呆れたふうにあたしを見る。……いや、純には若干睨まれている気もする。だってお得意の爽やかスマイルが引きつっているんだもの。
「え、行かないの?」
 わけが分からなくて遼佑くんを見上げれば、やっぱり少し睨まれた。
 ここは大人しくファンシーなアトラクションを選ぶべきだったのかしら。
「行くけど。俺たちデートしに来たんだよね? 女の子二人だけで楽しみに来たの?」
 肩を抱き寄せていた腕が離れて、遼佑くんの視線があたしの顔を覗き込む。
「あ……、デート……です」
 そこではたと気づいた。確かに朋子と二人だけ盛り上がってたのはだめだったかもしれない。それは待ち合わせの時からだったのかも。
 朋子の方に視線を移すと、朋子も肩を竦めてみせる。そっか。そうだよね。ここは朋子と純を二人にしないことには。
「じゃあ、えっと、どうする?」
 伺うように遼佑くんへ視線を戻す。
 でも正直、朋子ともっとはしゃぎたかったな、なんて思ったりした。いい年した大人がと思われるかもしれないけど、大学に入ってから遊園地なんて、というか1日こうして遊ぶことなんてなかったから、今日という日をすごく楽しみにしていたんだ。
「とりあえずスペースザマウンテン? から行くか」
「え! 良いの?」
「良いよ。でも遙の隣に座るのは俺な」
 くしゃっと子供をあやすみたいに遼佑くんの手があたしの頭を撫でた。あたしは満面の笑みで頷く。
「やったね、朋子!」
 嬉しくて振り向くと、突然朋子がアハハと笑い出した。隣で純も口元を押さえて俯いていた。笑いを噛み殺しているみたいだ。
「え、な、なに?」
「えー、だってなんか二人とも、親子みたいなんだもん」
「親子ぉ?」
 あたしが子供っぽすぎるってこと? それはそれで恥ずかしい。
 もっと抑えないといけないな。やっぱりテンション上がりすぎてるんだ。
「まあいいや。こんなはしゃぐハル、滅多に見れないし。行こ!」
 笑いがひと段落収まったところで朋子があたしの手を引いた。あたしも頷いて一緒に歩き出す。なんだかんだ言って朋子もテンション上がっている。だってあたしの手を取るなんて、普通はしないもの。
「ったく、言った傍から……」
 後ろで呆れたように呟く遼佑くんの声が聞こえた。でもいいよね。並ぶ時は遼佑くんの隣だけど、それまでは朋子と一緒でも。
「ごめんねえ、見吉くん!」
 どうやら朋子も分かっているらしく、可笑しそうに言った。遼佑くんは呆れつつも笑みを浮かべて「いいよ」と手を振って答える。その横で歩く純は何とも言えない顔をしていたけど。
「ハル、ありがとね」
 遼佑くんと純より少し先に歩く朋子がそっとあたしに耳打ちしてきた。
「え?」
 ここでお礼を言われる意味が分からなくて思わず朋子を見る。
「ハルのおかげで緊張しなくて済んだ。やっぱり二人きりだと黙りきっちゃってたと思う」
「そっか」
 良かった、とあたしも自然と笑みを浮かべた。いつもどおりの朋子だと思ってたけど、あたしもちゃんと役に立っていたらしい。それがとても気持ちよくて、嬉しくて。
 だからやっぱり後ろで交わされていた遼佑くんと純の会話なんて知ることはなかった。

 スペースザマウンテンはスペースシャトルで宇宙空間を走るというのをイメージしたジェットコースターのようなアトラクションで、でも満点の星空の中を走り抜ける爽快感はやっぱり普通のジェットコースターでは味わえない。何より暗闇の中だからコースが全然見えなくて、本当に宇宙の中を駆け抜けている感じがする。急に曲がったり下ったり上ったり。楽しくて声が出なかった。
 その次は映画の世界を3Dで体感できるアトラクション。専用の眼鏡を掛けて映画館のように椅子に座ってスクリーンを見るだけなんだけど、雷が落ちれば振動と共に照明が全て切れたり、猫がくしゃみをすれば本当に水滴が飛んできたりと、迫力も実感もあって、子供たちが好きそうだなって素直に思った。と言うあたしもこういうのが大好きで、だから親子みたいだなんて朋子に言われたのかもしれない。見ている間、ずっと遼佑くんと手が繋がっていたのは朋子と純には内緒だ。驚くたびに力が入って、それを遼佑くんの手が優しく撫でていたなんて知れたら、それこそ本当に親子だと笑われちゃうもの。
 それからジェット機で空を回るアトラクションを乗った後、既に午後を大きく回っていたので、純の提案でランチにしようということになった。

 入り口近くにオープンカフェがあったので、あたしたちはそこでランチをすることに決めた。
「……なんか疲れた」
 座るなり背もたれに腕を乗せてげんなりと遼佑くんが呟く。苦笑しながらその隣にあたしと、逆隣に純が座り、あたしの隣に朋子が荷物を置く。
「見吉くんって絶叫系苦手?」
 意外だというような口調で朋子が疲れきった表情の遼佑くんに声を掛ければ、渋々といった感じで頷いた。これは相当苦手なのかもしれない。
「絶叫系っていうか、三半規管刺激する乗り物は苦手」
「それって全部じゃない」
 朋子は呆れた、といった顔で笑う。純もつられたようにくすっと笑った。
「でも車は運転されるんですよね?」
 純が聞けば、ようやく顔を上げて遼佑くんがこちらを向く。顔色はそれほど悪くないみたいだ。だから誰も気づかなかったのだろうけど。
「自分で運転するのとただ乗ってるのは違うからな」
 そういえばそんなことをあたしの父も言っていたなと思い出した。
「じゃあ電車も?」
 思えばここに来るまでにも電車に乗っているし、ずっと刺激されっぱなしだったはずだ。それで余計に気分を悪くさせたのかもしれない、と慌てると、遼佑くんは小さく微笑んで手を振って否定した。
「いや、電車はだいぶマシ。波があるけど、大丈夫な時が多いし、現に普通だっただろ?」
 そうか。電車は毎日通勤でも使っているし慣れもあるのだろう。少しだけ安堵した。
「色々苦労してんのね。飲み物だけでも最初に買ってこようか?」
 朋子が気遣うように言えば、それも遼佑くんは断った。
「いいよ、ほんと大したことないから。それよりさっさと飯にしようぜ」
 そう言って遼佑くんが立ち上がり、続いて純も席を立った。
「神田さん、俺も一緒に行きます。一人で二人分は重いでしょうし」
「そうですか? 助かります」
 結局座っているのはあたしだけになって。あたしも、と立ち上がろうとすれば遼佑くんに肩を抑えられた。
「遙は席取ってて。それより何食べる?」
「えっと……」
 戸惑いながらもメニューはホットドッグとポテトとミニサラダとジュースくらいしかなかったので、サイズを指定してあとは朋子と同じものを頼んだ。
 三人がレジへ向かうのを見ながらあたしは少し重い空気を吐き出した。確かに席を取っておくのも荷物を見ているのも誰かがやらないといけないことだと分かっている。けどそれが自分になるとなんだか申し訳ない気分になる。それほどの量じゃないのも分かっているけど。どうしてこんなにもやもやとするんだろう。
 そして、ああ、と思い当たる。あたしは朋子みたいに遼佑くんを気遣うことができなかった。それが恥ずかしくて、悔しいんだ。電車のことなんかどうでもよくて、気づかなかった今までのことを気にするよりは、これからしてあげられることをするべきだったんだ。そんなことにも気づかなかったあたしは何て小さい人間なんだろう。
 それに朋子は最初から立ったままだった。すぐに座り込んだあたしとは違って、最初からレジへ行くつもりでいたんだ。どうしてそんなことも分からなかったんだろう。あたしも朋子みたいに気を利かせられる人だったら良かったのに。ああ、なんだか自己嫌悪――。
「緒方?」
 唐突に名字を呼ばれ、驚いて俯いていた顔を上げれば、目の前には懐かしい顔があった。記憶の中よりもずっと大人びた顔になった彼は、確か。
「……尾上くん?」
 高校の時の同級生だ。出席番号で前後だったという一番ありがちなきっかけで仲良くなった尾上くんだ。
「やっぱり! 緒方だよな、高校ん時同じクラスだった」
「そうそう、懐かしいね。こんなトコで会うなんて思わなかった」
「俺も。つか普通会わないって」
 そう言ってにぱっと笑う尾上くんは、やっぱり記憶の中の彼と変わらず、笑うと少し幼い顔つきになった。
 あたしはこの笑顔がずっと好きで、だからあたしもあの頃はずっと笑っていた。今も尾上くんが笑顔になればあたしも自然に笑顔が浮かぶ。懐かしいのと、高校を卒業して以来会うことのなかった人に会えた嬉しさと。
「緒方は友達と? それとも彼氏と?」
 こんなふうにさらっと聞けちゃうのも、やっぱり尾上くんらしいと思った。
「両方、かな」
 改めて彼氏という響きに照れながら答えれば、一瞬驚いた表情になった尾上くんも「そっか」と優しく微笑んでくれる。
「ようやく緒方にもそんな奴ができたか。あの頃じゃ考えられなかったけど」
「どういう意味よ。っていうか尾上くんこそ彼女とじゃないの?」
「なんだよ、一人前に照れちゃってさ。俺は友達とだっての」
 そう言ってくしゃっと頭を撫でられる。そんな仕草もあの頃のままで、あたしは少し複雑な気分だ。あの頃のままだったらきっとこんな仕草一つで嬉しかったり悲しかったりしたんだろう。けど、もう、あたしも尾上くんもあの頃よりずっといろんな経験をして、少しずつ成長していった。良くも悪くも、やっぱりあの頃のままということはあり得ないのだ。