Ich Liebe Sie

3


 普通なら休みの土曜日に、私は一人学校に来ている。年末の展示会に出す作品の下絵が未だできていないのは私だけなのだ。悠木くんも私と同じ時期に取り掛かったというのに、この差は何なのかと情けない。
 ようやく納得できるものが描けたと思う頃は、既に昼の2時を回っていてた。そこでようやくお腹が空いている自分に気づく。昼ごはんは朝、駅前のコンビニで買っていた。思いのほか早くできたことに少しの満足感を味わう。
「ああ、やっぱり来てたんだ」
 一人でおにぎりを頬張っていると、突然よく知っている声がした。振り返ると悠木くんがそこにいて、笑っている。
「どうしたの、悠木くん」
 悠木くんは確かに下絵まで終わっていて、土曜日の講義もないはずだった。というか土曜日は大抵補習しかやっていないのだけれど。
「メール、全然返って来ないから電話までしたのに、出ないし。友達と遊ぶ約束するなんて言ってなかったしさ」
 そう言いながら悠木くんは、驚きすぎて動かなくなってしまった私の隣の椅子に腰掛けた。
 メール? 電話?
 慌てて鞄の中を探って携帯電話を取り出すとランプが静かに赤と緑に点滅していた。開くとメールが1件と電話が2件もあった。
「ごめん、マナーモードにしたままだったから……気づかなかった」
 講義中に鳴らないようにとマナーモードに設定している着信音を解除するのは、誰かと待ち合わせしている時だけだ。だからこの言い訳は全然言い訳にならないのだけど、悠木くんはそんな私の性格を知っているはずなのだけど、笑って何でもないように「いいよ」と言ってくれる。
「いいよ、俺も急だったし」
 できたの? と閉じたまま机に置いてある私のスケッチブックをパラパラと捲っていく。その中には今の課題だけじゃなくて、今までの下絵が全て詰まっている。中には完成したら破り捨ててしまう人もいるけど、私は下絵も含めて一つの作品だと思う節がある。だからごちゃごちゃと捲らないといけない。
 悠木くんは目的の絵のところに辿り着けたようで、静かに、じっくりと、ただの下絵を見ていた。
「おお、できてんじゃん」
「やっとここまでって感じだよ」
 私は上手い方じゃないから人に見られるのは恥ずかしく思ってしまう。そんな私はよほど困った顔をしていたのか、悠木くんは「そんなことないよ」と言ってくれた。
「それより何かあったんじゃ……」
 照れくささ半分に話題を変えようと言いかけて、失敗だったと気づいた。悠木くんがわざわざ電話を2回もかけて、しかも学校まで私を捜しに来てくれたんだ。ここは素直に喜ばなくちゃいけなかったのに、どうしていつも先輩と関連付けてしまうんだろう。
 悠木くんはそんな私の髪をくしゃっと撫でて、困ったように笑った。私は彼のこんな表情を見るたびに胸がぎゅうっと締め付けられる。
「渡会に嘘は付けないなあ」
 私の体を抱き寄せて、悠木くんの頭が私の肩に乗る。彼の声は時々掠れて、私は思わず悠木くんの背中に手を回した。手に持ったままのおにぎりを押し付けないように持ち方を変えた。
「何でだろう。甘えてるのかな、俺。渡会、優しすぎるから」
「そんなことないよ」
 そんなこと、全然ないよ。優しすぎるのは悠木くんの方だ。こんな私に付き合ってくれる悠木くんの方なんだよ。
 本当は声に出して言いたかったけど、言うと私が泣いてしまいそうで、口を閉じた。
 静かな時間が流れる。部屋の壁時計には秒針がないから、私たちが黙れば何の音も一切なくなる。
「今日野村先輩からメール来たんだ。澤井先輩、もうすぐ誕生日らしくて、プレゼント一緒に選んでくれないかって」
 ふと顔を上げて悠木くんは話し始めた。
「なんでだろ、それ見て、すげえショックでさ。去年はこんなことなかったからかもしれないけど。でさ、気づいたら断る文章ばかり考えててさ」
 ハハッと笑う悠木くんは私の体を離して机に肘をつく。
「馬鹿だよな。せっかく先輩から誘ってきてくれたのにさ。先輩には俺しかいないのにさ」
 悠木くんは体を離してから一度も私を見ない。
「俺、先輩に嫉妬して断っちゃってたんだよね」