Ich Liebe Sie

4


 野村先輩は人見知りが激しいんだ、って悠木くんから聞いたことがある。いつも誰に対してもニコニコと仏様のように微笑んでいるけれど、ただそれだけ。野村先輩の笑顔の下を見れるのは、家族以外では恋人の澤井先輩と、小学生の頃からずっと後輩をしている悠木くんだけらしい。
「今からでも遅くないと思うよ。一緒に澤井先輩のプレゼントを選びに行きなよ」
 煩く鳴り響く心臓を抑えるようにしながら私は俯いたまま悠木くんにそう言った。本音では行ってほしくないと思いながら……。自然と彼の手に触れようとした手を慌てて引っ込める。
 今まで私から悠木くんに触れたことはない。いつも、抱きしめるのも手を絡ませるのも、全て悠木くんからしてくれるのを待っていた。悠木くんの好きな人は私じゃないから、いくら悠木くんが優しい人だと分かっていても、伸ばした手を撥ね退けられるかもしれないと思うと、怖くてとてもできない。
「行っておいでよ」
 苦しくて、息が詰まるかと思った。
 ガタンッと音を立てて立ち上がった悠木くんは、部屋を出るときに一度だけ私のほうに視線を向けた。
「ごめんな、渡会」
 それだけ言って悠木くんの姿は見えなくなった。
――ごめんな、渡会。
 どういう意味か分からないよ、悠木くん……。

 澤井先輩の誕生日会は盛大に行われた。と言っても我がサークルの人数は全員で10人にも満たないし、場所も部室で、小さなチーズケーキにローソクもないけれど。それでも部長の田中先輩を筆頭にモノマネ大会や歌合戦などが企画され、先輩達のテンションは最高潮だった。
「次、工藤! ヒライケンでお願いしまぁす!」
 丸めた画用紙をマイクに見立てて田中先輩が工藤先輩にそれを渡した。工藤先輩は2回生で、基本的にあまり出しゃばるタイプの人ではなく、どちらかというと無愛想で寡黙な印象が強い。澤井先輩の誕生会が絶対参加だと知らされていなかったら間違いなく来なかっただろう。
「無理です。ヒライケンだったら悠木が上手いんじゃないですか」
 焦った様子もなく、一人黙々とケーキを食べていた悠木くんに冷静に振る。悠木くんの横で私はそんな工藤先輩の切り返しに感心してしまった。いきなり名指しされた悠木くんは目を丸くして私を見る。
「頑張れ」
 私は苦笑い気味に言うしかなかった。
「……まじっすか」
 悠木くんは大袈裟なくらい落胆し、皆の興味を一斉に向けられた。
「おうおう、まじデスよ悠木明良くん。大丈夫、ヘタだったら工藤も道連れにしてやる!」
 田中先輩はノリノリで工藤先輩に向けていた紙製のマイクを悠木くんに差し出した。悠木くんは渋々といった感じで受け取ったが、曲がかかり、静まる部屋で歌いだした悠木くんの歌声は本気だった。
 静かな部屋に流れるしっとりとしたラブソング。メジャーなシングル曲だけれど、ここまで歌いきれる人は多くないと思う。それほどの声量と声音。じん、と来て、涙が出そうになった。

 your love forever......

 それは私が悠木くんを想っているのと、悠木くんが先輩を想っているのと、同じ長さなのだろうか。

「え、あれ、渡会さん大丈夫!?」
「え?」
 近くに居た先輩に言われて、わけが分からず首をかしげた。すると先輩は自分の目元に指を当てて、私の目から涙が流れていることを教えてくれた。
「うわ、どうしたんだよ」
 隣で歌い終わったばかりの悠木くんも私が泣いていることに気づき、慌てて私の流れた涙を指で拭ってくれた。
「うん……ごめん、感動しちゃったみたい」
 赤くなってしまった目も顔も上手く隠せないまま私が言うと、悠木くんは「そっか」と安心したようにほっと微笑んだ。
 そんな私たちを田中先輩が驚いたような表情で見ていたことに気づいた。
「なに、何、二人のその甘い空気は!」
「田中先輩知らなかったんですか? 付き合ってるんですよ、悠木と渡会さん」
 可笑しそうに笑いながら答えたのは澤井先輩だった。