Ich Liebe Sie

7


 いつから好きになったとか、そういう決定的な瞬間はなかった。ただいつも視線の先に彼がいて、彼の話し方や仕草一つ一つが良いなと思えた。一目惚れに近いのかもしれない、こういう感情は。
 悠木くんは特別な美男子ってわけではない。身長はそれなりにあるけど太っているわけでも痩せているわけでもない、ごく普通の男の子だ。例えば10人中4人は「かっこいい」と評価して、3人が「フツウ」と答えて、3人が「悪くないけど好みじゃない」と言うような感じだと思う。でもなぜかしらよくモテる。たぶんそれは彼の優しさが性別を問わず向けられるからだ。ノリも良いし、さり気ない気遣いも嫌味じゃないし。高校の時から彼女には一途だったと聞いたことがある。皮肉にもその情報源は澤井先輩だった。
 悠木くんがいつから澤井先輩のことを好きになったのかは知らない。でも悠木くんが長い間その想いを秘めていることは間違いない。悠木くんはどんな思いで今まで二人を見てきているんだろう。

 年末の展示会に出展する作品は、課題作品と自由作品の二つがある。課題作品は決められた構図の中でどれだけ色に個性を出せるかということを目的としたものだ。対して自由作品はこの1年間の力量を測るためと言っても過言ではない。だから自由作品の方に力を入れるべきだし、皆も実際に自由作品の構成は随分と前からやっているみたいだ。だけど私は締め切り1ヶ月前になってようやく自由作品の作成に取り掛かることになった。だいたいのイメージはできているのだけど、間に合うかはどれだけ時間を使えるかにかかっている。当然だけど締め切り前と試験の時期がかぶるこの季節にこの状況はかなりヤバイ。
「じゃあ、しばらくお互いの時間を重視するってことで休みの日は連絡しない方がいいかな」
 キャンパスの上で色を重ねていきながら悠木くんがいった。あまりにも淡々と言うので、私は自分から振った話だというのに落ち込んでしまった。そりゃあ、連絡してきてくれてもこの前みたいに私が全然気づかないことになるのは目に見えていることだろうけれど……。
「あっあのさ、メールくらいは、してくれる? メール、してくれるだけで良いから」
「……いいよ」
 良いよ、の前の沈黙が気になったけど、とりあえず私はほっとして力を抜いた。
「渡会からはしてくれないんだ?」
 え。と喉を鳴らしても悠木くんの目は変わらずキャンパスから離れない。
「する、するよ!」
 何でこんなに必死になっているんだろうと思いながら力いっぱいに答えた。そこでようやく悠木くんは私を見て、ふっと笑ってくれた。ただ微笑んでくれたことに安心する。
『先輩達を見てるの、そろそろ限界かもしれない』
 そう言った日から初めて見る悠木くんの笑顔だ。それでもどこかまだ弱々しく感じるのは、あの言葉が頭から離れないからだろうか。

――いつからだろう。
 ふと視線に気づいて振り返ると古瀬さんが顔だけをこちらに向けて私を睨んでいた。
 古瀬さんはいつから悠木くんを見ていたんだろう。
 私はいつから……こんな感情に気づいたんだろう。


 いつの間にか時計の針は門が閉まる10分前を指していて、私の周りは途中まで描き上げられたままのキャンパスと、悠木くんと、道具を片付けている工藤先輩しか残っていなかった。
「えっ、うそ、もうこんな時間!?」
「――って、オイ、お前全然進んでないじゃん」
 悠木くんは慌てふためく私に呆れた笑顔を見せた。ううん、きっと苦笑いをしているんだろう。
「鍵閉めるぞ」
 工藤先輩の一声に私はよりいっそう焦りだした。
 ……これじゃあ当分悠木くんに会えないよ。私のアホウ。