Ich Liebe Sie

11


 静まり返った教室に小さく鐘の音が響く。この大学は仏教系だから12時半になると決まって十数回鐘が鳴る。その意味は未だよく知らないけれど。
「もしかして、さ」
 しばらく私が泣いているのを黙って見ていた古瀬さんは、ふと思いついたように口を開いた。それはさっきまでの刺々しいものではなくなっていて、私は涙を拭いながら顔を上げた。くるりとした目がばっちりと私を捉えた。
「渡会さんは知ってたの? 明良が野村先輩を好きなこと」
 私は答えられずに再び俯いた。古瀬さんそんな私を別に気にする様子もなく、ただ答えなかったことで肯定と受け取ったようだった。
 はあ、と大きな溜め息を吐いた声が聞こえた。
「かなわないよね、それじゃあ」
「え……?」
 古瀬さんが言った意味が分からず、また古瀬さんの顔を見る。古瀬さんは苦々しい表情で微笑んでいた。元々かわいい顔立ちをしている彼女がすごく綺麗に見えた。
「ごめんね、渡会さん。嫌なこといっぱい言って。泣かせちゃったし。わたしってホント、自分でも嫌な女だって思う。これじゃあただの八つ当たりじゃん、ね」
 今度こそ何て返せばいいんだろう。私はよほど困った顔をしていたのか、古瀬さんは声を上げておかしそうに笑った。
「あはは、渡会さんってカワイイ! 良いわ、わたしそういう人、好き」
「あ、ありがとう……?」
 戸惑いながらも一応礼を言ってみる。何に対しての礼なのかは分からないけれど。まだ古瀬さんは可笑しそうに声を殺していた。いつの間にか私の涙は止まっていた。
「そういうところが明良も気に入ったのかしら。わたしが明良を好きになったのはね、自分と似てる人を見つけられたっていう嬉しい気持ちが先だったの。同族意識って言うのかな、それに似た感じだったのかも」
 悠木くんと古瀬さんが、似てる?
 キョトンとしている私に古瀬さんは嬉しそうに、楽しそうに、少し切なそうに、話してくれた。
「わたしってけっこう思ってることをズバズバ言っちゃうところがあるでしょ。自分でも『ああ、これを言ったら傷つくんだろうな』って分かる時もあるの。でもなかなか抑えられなくてね、高校のときが一番酷かったなあ。ある時クラス中の女子を敵に回しちゃったのよ。わたしも素直に謝れば良かったのに、間違ったことは言っていないって意地になって。明良もさ、そういうところあるでしょ? 自分に正直っていうか、嘘がつけないっていうか。そういう部分を知った時に『この人は自分と同じタイプの人間だ。きっと気が合うわ』って勝手に思っちゃったのよね。それがたぶん最初のきっかけ」
「でも悠木くんは……」
 私が思わず口を挟むと、古瀬さんは優しく私に微笑んだ。
「うん、明良はちゃんと謝れる人だった。わたしとは違ってね。でもそこがまた羨ましくて、私も謝れる人間になろうって、やっと思えた。それが人としても男の子としても好きだなって思ったきっかけの2つ目」
 少し頬を赤く染める古瀬さんは誰が見ても恋する女の子で、さっきよりもずっとずっと可愛かった。やっぱり悠木くんには、こんな面白みのない私よりも古瀬さんみたいにさっぱりと優しく笑える人の方が必要なんじゃないだろうか。きっとそうだ。
「だから明良が渡会さんを隣に選んだの、なんとなく分かった」
 私は思い切り首を横に振った。
「違う。悠木くんは私を選んだんじゃないよ。先輩はどうしたって手の届かない人だから、たまたま寄ってきた私で手を打っただけなんだよ」
 きっと古瀬さんは悠木くんと野村先輩のことを知らないんだ。だから私に嬉しいような解釈をしてくれるんだ。そうじゃなくても、古瀬さんの言い方は私に期待させるものにしか聞こえない。悠木くんが私を選んだなんて、それはまるで――。
「そうかなあ? わたしはそうは思わないよ。実際、夏休み前まで明良は誰とも付き合ってなかったし。告白してきた子はけっこういたみたいだけど」
 ……いや。
「少なくとも渡会さんよりは明良の人間関係に詳しいつもりなの。そのわたしが言うのに信じないの?」
 だめだ、これ以上は。
「それって渡会さんがただ明良を信用していないだけじゃないの? 明良が誰を好きだろうと今恋人の座に居るのは渡会さんでしょ」
 お願い。これ以上は言わないで。
 わたしは何度も首を横に振る。馬鹿の一つ覚えみたいに、何度も。
 お願いだから、言わないで。そうじゃないと、私――。
「恋人の座を簡単に好きでもない子を置けるほど、明良は軽い奴じゃないよ」
 私、これ以上を期待してしまう。
『俺さ、先輩達を見てるの、そろそろ限界かもしれない』
 いつか悠木くんが本当に私を好きになってくれるって、期待せずにはいられなくなってしまう。