Ich Liebe Sie

12


 悠木くんが澤井先輩と野村先輩のことを話してくれたのは、私が告白した――私たちが事実上恋人同士になった――日から初めての休日、悠木くんの部屋に呼ばれたときだった。普通の恋人同士なら味わうだろう“初めての彼の部屋”に行くドキドキ感はなくて、それは悠木くんに前もって「俺の好きな人のこと、教えるから」と言われていたからだ。たぶん、この時から“恋人”と“好きな人”の境界線が引かれていたんだと思う。
 悠木くんは私の家の最寄り駅から二駅行った先の駅から5分くらい歩いたところのアパートに一人暮らししている。といっても、実家はそこから1時間くらいで着ける場所にあるらしく、お母さんがしょっちゅう来てくれるおかげで一人暮らしの実感がなかなかできないらしい。
 そんなことを笑いながら話してくれた。私も同じように笑って、ふと悠木くんの表情が変わったことに気づくまで少し時間が掛かった。悠木くんが手にしていたのは古いアルバムだった。かわいい花のワンポイントが悠木くんには似合わない気がした。
「俺とみずさ、じゃなくて野村先輩はさ、小学生の頃からの付き合いなんだ。俺んちの隣に野村先輩の家族が越してきて。ちょうど年も近かったし、先輩には俺と同じ年の妹もいてさ」
 パラパラとアルバムを捲っていくと、ある時からずっと悠木くんの傍には幼い姿の野村先輩が写っている。小さい頃から野村先輩は日本人形のように綺麗な顔で微笑んでいた。
「もちろん中学までは校区も一緒だったし同じ学校になるのは当然だと思ってたんだけど、まさか高校も同じだとは思わなかったんだ」
「偶然だったってこと?」
 写真では確かに成長していくにつれて野村先輩の姿は少なくなってきている。
「そ。妹とはそれなりに話してたけど、別にみず、先輩のことを気にしていたわけじゃなかったし、高校は部活で選んだから相談するとかもなかったから。ちなみに妹の方も俺はどこに行ったとか知らないし」
「そうなんだ」
「うん。で、入学式の時に生徒会長が挨拶をするんだけど、他の生徒会役員も一緒に並ぶじゃん。そこに野村先輩がいてさ、びっくりした。でもってその時挨拶してた会長ってのが澤井先輩で。あの時はただすげえカッコイイ人だな、くらいにしか思ってなかったはずなんだ。それより野村先輩が同じ高校で、しかも人見知りの激しすぎる人が生徒会に入っているって事の方が驚きでさ。でもどうして野村先輩が生徒会にいるのかも、二人のことも、すぐに分かった。有名すぎたんだ」
 有名すぎるのは今もだけど。悠木くんはそう言って少しだけ笑った。
「それでまた距離が出たなと思ってたんだけど、後期の生徒会選挙で1年の会計の枠に俺が推薦されて、あっという間に二人と仲良くなった。野村先輩とは入学当初とからよく話してたからさ、よく澤井先輩に嫉妬されたりしたな。でもそのうち俺が野村先輩に嫉妬するようになるんだ。澤井先輩に触ってほしくてワザと野村先輩に絡んだりして」
 この時まで私も悠木くんが好きなのは野村先輩の方だと思っていた。悠木くんが言っていた「サークルの先輩で恋人がいる人」は澤井先輩か野村先輩しかいないはずで、悠木くんは男で、澤井先輩も男だ。まさか同性の澤井先輩が相手なんて思わなかった。身近に同性愛者がいるとは、夢にも思わなかった。
 でもきっと、その気持ちを一番どうしていいか分からなかったのは高校生だった悠木くんのはずで、だからきっと、澤井先輩を好きだという気持ちは簡単に変わるものではないと分かった。分かってしまって、私は、空中を何の支えもなく歩いているような気分になった。地に足が着けていないふわふわしたような、いつ絶望の内へ落とされるか分からない恐怖感と、どうしようもない虚無感と。
「どう? これでも俺のこと、好きって思える?」
 悠木くんは何かを試しているような口調と、嘲笑うような表情で聞いてきた。
「私が悠木くんを好きなことに変わりないよ……そりゃ、驚いたけど」
「気持ち悪くないの? 男を好きだって言ってんだよ?」
 私が真っ直ぐ悠木くんを見つめ返しているからだろうか。悠木くんは困った表情をして私を見てきた。
「……好きになっちゃったのは、どうしようもないよ」
 無意識的か意識的にかは分からないけど、結局境界線を引かれた私には、悠木くんの“好きな人”にはなれないんだ。それでも悠木くんを“恋人”にできた私に、他の望みはない。好きな人の“恋人”は特権だもの。どうしようもないよ。悠木くんが私を切り離さない限り、私はこの特権を離すことはできないんだよ。
「簡単に諦められたら、告白なんて大それたこと、できなかった」
「……そっか」
 あの日の勇気を、悠木くんは知らない。
 私がどれだけ足を震わせていたかなて。心臓を痛めつけていたかなんて。泣きそうになっていたかなんて。悠木くんはきっとこの先も、知らないんでいるんだろう。
 あの日を迎えるまで私がどれだけ悩んでいたかなんて、苦しかったかなんて、泣いていたかなんて、私は言わない。言っても意味がないことは分かっているから。
 だから悠木くんは、知らないままなんだ。