Ich Liebe Sie

14


 2時限目が始まる前の休み時間、私は悠木くんに会わなくなって初めてのメールを送った。昼休みに話したいから来てほしいという内容の文。場所は昨日古瀬さんと話したあの小教室にした。あそこは離れている場所にあるせいか、ほとんど使われていないんだと古瀬さんが言っていたのを思い出して決めた。悠木くんからは「分かった」の一言だけが返ってきた。
 真織ちゃんには予め言っておいたので、私は講義が終わるとそのまま指定した小教室へ向かった。今日の昼ごはんは久しぶりにコンビニのサンドウィッチとカフェ・オレだ。
 昼休みに入って10分ほど経った頃に悠木くんが教室に入ってきた。一人で席に座っている私を見て、少しだけ驚いた表情をした。
「ここで食べてたのか、一人で?」
「え、うん、そうだけど」
「言ってくれれば良かったのに。てっきり渡会も食べてから来ると思ってたから」
「いいよ、気にしないで」
 悠木くんは私の隣の席の椅子を引いて座った。
 良かった。普通に喋れてる、私。
「あの、話っていうのはね、私と悠木くんのことなんだけど」
 言いながら、それしかないじゃん、と自分でツッコミを入れる。全然良くないじゃない、私……。
 それでも悠木くんは優しい口調で「うん」と頷いてくれる。
「悠木くんは今でも先輩のことが好きなんだよね?」
「え?」
「私は今でも悠木くんが好き。今でも、っていうかこれからもそうだと思うけど」
 悠木くんは驚いた表情のまま私をじっと見つめる。うん、急にこんなことを言われたら誰だって驚くし、困ると思う。でも私が悠木くんと向き合うには、絶対に必要なことなんだ。
「だからね、私と悠木くんとの気持ちって全然別の方向にあるじゃない? だから……ね、こんなままで付き合ってても、お互いのために良くないと思うの。最初に悠木くん言ったよね、好きじゃなくても付き合えるって。私もそれで良いと思ってたけど、やっぱり全然良くなかったよ。間違ってたんだよ、私たち」
 悠木くんは私を見つめたまま動かない。目を見開いた表情も、机に置かれた指先も、私を見つめる視線さえも。私は構わず喋り続けた。
「悠木くん、よく私に『ごめん』って謝るけど、私、その度に『何が?』って思ってた。私は全然傷ついていないのに悠木くんが『ごめん』って言うから、その言葉で傷つくんだよ。悠木くんが私に謝るのって、悠木くんに後ろめたいことがあるからだよね。それで、それが先輩のことなんだよね」
 だんだんと声が擦れていくのが分かる。喉がカラカラと痛む。
「悠木くんの中に、先輩がずっと居るからだよね。悠木くんが言ったんだよ、俺には渡会以外に好きな人がいるって! ……それでも良いなんて……言うんじゃなかった」
 ふう、と息を吐く。あまりにも悠木くんが私を凝視するので、思わず視線を落とした。
「――恋人は終わりにしよう。それでまた、完全な片思いに戻りたい」
「渡会……」
 悠木くんが出した声は小さくて、あの日に似ていた。初めて抱き合った日、私の耳元で「好きだよ」と囁いてくれたあの時の声に。やっぱり私の胸はぎゅうっと締め付けられる。
 不意に持ち上がった悠木くんの手は宙を迷って、彼の膝の上に乗る。触れてほしいと思った私はどうしようもない。たった今それとは逆の事を言ったばかりだというのに。
「渡会は、それで良いんだな?」
「うん」
 即答した。悠木くんは「そっか」と呟いてしばらく黙った。
 どれくらい時間が経っただろう。また鐘の音が遠くから響いてきた。
「……俺は、嫌だ」
 決して大きな声ではなかったけれど、はっきりとした口調だった。
「え?」
 私はてっきり、悠木くんも頷いてくれるものとばかり思っていた。私はそれほど大切な、守らなければいけないような存在なんかじゃなくて、一時の寄り添えるものであれば良いはずだった。
「渡会は俺を好きで、どうして別れるんだよ」
 悠木くんの問いかけるものは何とも無意味なものに聞こえる。
「私は確かに悠木くんを好きだけど、悠木くんは私を好きじゃないからだよ」
 悠木くんはひどい。どうして私にここまで言わせるんだろう。こんな、分かりきったことを聞くんだろう。言葉にするたびに自分が惨めに思えて、逃げ出したくなる。
 ご都合主義の恋愛小説なら、ここで「俺も好きだよ」的な告白があっても良いと思う。どんなに突拍子がなくても最後がハッピーエンドなら私はその方が好きだ。でも悠木くんは口を閉じたまま何も言わない。私の目さえ見ない。
 ただ前髪をくしゃっとかき上げて。
――それが答えなんだ。
 私は、心のどこかで期待していた自分を嘲笑った。